『アインシュタイン』

saikaku2006-10-20

最近観た映画の中で、その主人公の名前がアインシュタインとなっていて、ドキッとして、その伝記物なのかと一瞬思ったが、そんなことはないと疑心暗鬼を伴いながら、でも、結局は、最後に自殺をするということで終わったから、ああ、やっぱり違ったのかと、そう、でも、その映画の印象をいうことが、それだけでころっと変わってしまった、そう、主人公の名前ということにしろ、何か、その、他の意味を持つものを当てるということは、それだけで気分があらぬ方へ飛んでいってしまうって、興を削がれるということになってしまう、そんなことが起こる、その、何だろうか、もっとシンプルに、その、自然のこと、それを理解することが出来ないのだろうかと、11次元とか、想像も出来ないような、そのような世界のことではなくて、何か、もっとシンプルに理解していく、そんなことが出来ないものかと、そのようなことを感じる、複雑すぎる、それでも、理解できている人は、天才と言われている人はいるのだけれども、その、脳の中の、人間が理解するという能力において座標変換を行えば、もっとシンプルな外界の世界の状況ということが見えてくるのではないかと、そんなことを思う、複雑にしている方は、人間の方のことであって、自然の方はいたって簡単ということなのではないかと、そんなことを思う、どうなんだろうかと、また、一斉の学んでいくというか、講義を受ける、或いは、一斉授業を受けるというか、そのようなことよりも、少人数での話し合い、そんなことの中から学んでいくことの方が、実際的なことであり、また、疑問も持ち越すこともなく、その場で訊いていくことができるし、そのようなことのほうから学んでいくことを薦めていきたいと、そんなことを感じる、そう、何か、考え方、遣り方、学習の進め方ということにおいても、その、変換していきたいと、或いは、変換できると、そして、世界の観方を変えていくことが出来ると、そんな感じがしている。