『ふたりきりの戦争』2

saikaku2006-10-21

人間関係で問題が起こるのは、その、自分自身の問題であるのに、それを他者に押し付けてこようとするところにある、自分自身で解決していかなくてはいけない、それしか本当に解決することは出来ないのに、恰も他者のことであるかのように、その問題を転嫁してくる、そんなところにある、私の言ったことが、相手には非難された、自分の遣り方、或いは、家庭の決まりということまで非難されたと思い込む、そして、その、怒りを持つ、そんなことも起こる、何故、そうなるのか、そのことが私にもわからない、でも、そのようなことになっていく、そう、そうならないこともある、そんなこともある、当然のこととしてある、でも、その、怒りということを感じる、そのようなところのこと、それは、そう、私の言動といったことに、それが起因していたということはあるとしても、それによって喚起されたところのこと、そのこと、それは、自分自身のうちにあるという、そして、恰も、その問題が、私自身にあるかのように、批判するということになってくると、その、問題の根がこじれていく、そう、こじれていく、そう、そんなときのこと、誤解だと言っても、おそらく通じない、もっと根の深いことであれば、そのようなことを、理を尽くして話をするということをしても、多分、無理、そう、そのようなことを思う、そんなとき、相手からの批判、それを受けたとき、多分、いちばんいい方法は、それを受け留めない、受け流す、そんなことなんだと思う、そして、問題を相手に返していく、そう、私のことではなくて、自分自身の問題であるということに、受け留めないことによって、返していく、そんなことなんだと思う、そう、でも、このことも難しい、ついつい、それに反応してしまう、或いは、過剰反応ということにまでなってしまう、そう、そんなこと、或いは、こうすればいいのだと、そう、指示をする、間違いを指摘していく、そんなこともする、そう、それも違っている、ただ、聞き流す、そんなことでいいのだと思う、でも、人間関係においては、もっと巧妙なことにもなっている、その、挑発されるということが起こる、相手にとって、その、挑発しているという意識がなくても、そうしている、何か、相手からの反応ということを引き出していく、そんなことをする、物を預けるという、相手にものを委託する、そんなことをする、そう、引き込まれてしまう、そんなことが起こる、そう、自分の問題としてのこと、私自身のこと、何をしていくのかと、そのことがある、相手には、相手の問題がある、そのこと、それは、私が解決していくことではなくて、あくまでも、相手が解決していくところのことであって、それを受け取らない、そう、そんなところのこと、その見極め、それが大事なことなんだと思う。