『機能不全家族』

saikaku2006-11-11

結局、その、自己を深めていくところのこと、そのような努力をしない、ということなのだろうかと、虐待の起こっている世相、子供ができるとき、親になっていくということが自然なこととして、出来るという思い込み、それがあるのだろうかと、誰でも出来るという、親業という本もあったが、親になる為に学習ということも必要なのではないかと、その、自分のことについて、巧くいかない、子供に対してのことだけではなくて、生徒に対してのことにしても、或いは、人間関係ということが巧くいかない、何か、その、軋轢と言うものが生じてしまうというとき、誰に責任があるということではなくて、そのことを契機として自己を変えていくということへ向かう、それが出来ないと、そんなふうに感じる、何とかなるという、そのようなことを思っているのか、或いは、自分は絶対に正しいと言う、そんな思い込み、それがあるのだろうかと、自己を深めていくこと、その、にんげんかんけいが巧くいっているとしても、そのことをもっともっと深めていく為の努力をしていくということ、ある程度のことが出来れば、まあいいかと、諦観を持ってしまう、そんなところがあるのかと、そう、人間関係について、どのような関係性が望ましいのか、或いは、自分自身の生き方のこととして、どのようなことが望ましいのか、そのことについてもっともっと考えていくこと、そして、その、話し合うということ、人と話し合うということ、そのような機会をもっともっと持っていく、そのことが必要なのではないかと思う、自分に相応しい、その、自己を深めていくことに寄与する、そのような人との話し合う機会、それをもっともっと持っていくこと、それが大事なことなのだと思う、そう、そのようなことを怠っている、そんなことが多いように思う、何か、まあ、それも、生活ということが、全体として安定しているということなのではないかと、いろんなことを見ないでいけば、まあ、今の生活、全般的なこととして、将来への不安ということを考えていけばきりもないが、今としては、まあ、安泰であると言う意識、それが根底にあるのだろうと思う。