『ダンサーの純情』

saikaku2006-11-13

結局、今、学校というところも面白くないところになっているということなんだと思う、面白いと、楽しいと、そう感じることが出来なくなっている、面白い、或いは、楽しいと感じることが出来るのは、その、自分のことを表現していける、また、そのことをそのままで受け留めて貰えるという、そのようなことが出来ること、そんな雰囲気があるということなんだと思う、自分の居場所があるという、自分が認められていくという、そんな場になっているということなんだと思う、それぞれが、それぞれのままで、その人間性のままで認められていくということ、別に虚飾ということを考えなくてもいい、仮面ということをつけなくてもいいという、そんなことなんだと思う、でも、そのようなことにはなっていないと、学校というところは、多分、此処の生きる力とは言いながら、そのような目標を掲げながらも、結局は、画一的、その個性ということを奪っていく、そのようなところになっているとだと思う、個人の勝手な行動を許さない、そんなところがあるのだと思う、管理していくという、そんな発想に立っているのだと思う、そう、個人としての生き方、ただ、学歴社会をある程度乗り越えてきただけで、その、教師ということにはならない、そう、そんなことにはならない、それは、親としても同じことなのだと、研修制度ということがあるとしても、それは、ただ、聞いているだけの、或いは、居眠りをしているのかもしれない、そう、男性教員に抑鬱が増えているといるということも、結局は、その、個人としての、その、自己を表現していくことにおいての学習ということ、そのことが不足しているというか、まあ、もういいと、自分は出来ているという、何か、絶対的な思い込み、そんなところがあるような気がする、そう、何か、自殺者が、毎日のように報道されていること、また、そのような状況が加速しているようにも、日に日に増加しているようにも感じる、子供も大人も簡単に自殺ということを選択してしまう、そのようなことしかないような、そんなことになってしまっている、その、生きるということについて、生き方の問題ということについて、そう、もっと真剣であるべきだと、先ず、自分自身のことから、そんなことを思う、少しでも、そのような状況において、その、光があるということを、そんなところのこと、そのような生き方をしていくこと、まあ、そのようなことを思う。