『失敗学実践講座』

saikaku2006-11-14

望ましい、健全な人間関係のあり方、それはどんなものなのだろうかと、一人ひとりのこと、その生き方が認められていくということ、たとえ、幼児であったとしても、一つの人格を持つものとして、その存在ということを認めていくこと、そのようなことだと思う、一人ひとりのこと、それが違っているものとして、そのことを前提として認められていくこと、或いは、その、お互いのところから、その生き方から学んでいく、決して相手のことを非難していくということではなくて、貶していくということではなくて、相手の存在そのものを認めていくこと、そのようなことなんだと思う、何か、そのようなことが、今、苛めとか、或いは、虐待とか、パワハラとか、その呼び名は違っていても、そう、人間関係において、マイナスの関係性、それが、今、多過ぎる、また、連鎖反応が起こっているような、そんなことを感じる、そう、何か、そのことを変えていくことが、そう、早急なこととして、でも、早急に出来るということもそれほど期待出来ないこととしてある、そう、人間関係のあり方、そのところのこと、その、基本的に、相手の話を聞いていくことなんだと思う、でも、これさえも、そう、難しいことなんだと思う、相手の話を聞いているつもりでも、暫くたてば、結局は、自分の経験したところのことを相手に聞かせ始めている、そんなことになっている、教師から生徒へのことにしても、何か、教えるということにおいて、教えていかなければならないということの下に、自分のことをを一方的に話し始めている、何か、変えていかなければならないという、そんなところのことを感じていても、そのこと、少しずつのこと、そんなことになっている、少しずつ、その関係性ということを構築していくということになっている、そう、或いは、その前に、大事はことは、前にも書いたかと、その、いちばんの問題は、自己との関係性ということなんだと思う、自己からの話、声、それを十分に受け留めていくことが出来るのかどうか、自己という他者性、それを受け留めていくこと、そのところから始まっていくのだと思う、そのことが出来ない、そのことの連鎖が、外部のものに対しても、そのことを受け容れていくことが出来ないという、そのようなことなんだと思う。