『失敗学実践講座』2

saikaku2006-11-15

今までの感覚からいえば、変わってきたのはいつ頃からのことなのだろうかと、その、親の言うことを子供が聞くのは当たり前のこと、何を言われてもそのまま聞くのは当たり前のこと、また、同じように、教師の言うことを生徒が黙って聞くのは当たり前のこと、そのようなことがあったと思う、暗黙の了解というか、そのような人間関係の前提というか、そのようなことがあったと思う、それが変わってきたのはいつごろからなのか、バブルが崩壊してから、或いは、リストラが盛んになって来てからとか、まあ、そのことはともかくとして、そのような人間関係もいいものではなかったし、一方的であるところのこと、それが健全なものだとは思わない、そのように考えれば、今、いろんな問題、人間関係に起因するいろんな問題、それが起こってきている、今日にしても、その三面記事、全て、そのようなことなのではないかと思う、今、その、新しい人間関係、というか、新しくもないが、その、対等な人間関係というもの、それを構築していく時代になっているのではないかと思う、そう、そんなときになっている、相手のことを非難していく、何か、その、欠点ということを論っていく、そんなことではなくて、ただ、それぞれのことを個性として、そのようなこととして、それぞれの人間性、そのものとして、そう、受け容れていくこと、尊重するというところのことでもなくて、ただ、対等なこととして、そう、そのようなこととして認めていく、それだけでいいと思う、自分に関係のないことは、ただ、関係のないこととして、そんなこととして、学ぶべきところのあることは、そのようなこととして学んでいく、そう、その為には、もう一度、その、自分自身のことを、自己のことを考えていく、その、水平社宣言にもあるように、此処の人間性の尊厳、その、自分自身のこととして、人に認めてもらうということではなくて、自分自身のこととして、その、自己の尊厳ということを守っていく、或いは、育てていく、そんなところのこと、その、相手のことを非難していくということによって、自分を誇示していくということも卑小なことであって、その、また、自分のことを他者に認めてほしいという心理も裏返せば相手を非難していくことを同じことなんだと思う、ただ、自分自身のこととして、その、自己の尊厳と育てていく、そして、それを認めてくれる人が居れば、非常にラッキーなこととして受け容れていく、ただ、それだけのことなんだと思う、自分の生き方のことを考えていくこと、そのようなことなんだと思う、そう、毎日の新聞を読むことが辛く感じる。