『月の笛』

saikaku2006-11-17

どうも、苛めというもの、避けられないという、何処ででも起こりうるものだという、そのように考えていくことが正しいと思う、それは、陰湿なことに発展していく前のこととして、自我の衝突、自己主張のぶつかり合いという意味なんだと思う、或いは、悪の道へ入り込んでいくところのこと、その入り口でのこと、そのような出来事なんだと思う、そのような意味において、苛めということ、相手に対して害を及ぼしていくこと、それが起こる、でも、それ以降のこと、今、起こっている苛めというものは、その状態からもっともっと進展している、もっと悪質に陰湿になっている、そう、そのようなところのことがある、そのときには、その苛められている側において、それを告発する、抗議するということがない、というか、抗議しないだろうというものが狙われているということなのかもしれない、そんなことになっている、その初期の段階で苛めというものが明らかなものになっていれば、それ以降のことは無くなっているのだろうと思う、また、その、傍観者と言われているものたち、或いは、更にその周辺に居るものたち、そのような生徒の存在へ働きかけていくことも出来ると思う、その、苛めが進行していくことの原因の一つに、抱え込んでしまうということがある、その当事者だけではなくて、それに薄々気付いている教師にしても、そのことを抱え込んでしまう、或いは、そうとは自覚していないということがある、そんなところのことがあると思う、その、全体のことにしていくこと、それがあると思う、多くの生徒のことに働き掛けていくこと、そう、苛めというものに対してのこと、何も出来ないということではなくて、遣るべきところのこと、そのようなことが多くあると思う、また、その予防策ということもあると思う、そう、人間関係に関わることとして、苛めという問題が起こったとき如何していくのかということ、その対策を考えていくことも、その予防策ということになっていく、また、その、自己を主張していくということが、その、アサーシブなことの練習もある、そのようなこと、自分自身に関わるところのこと、そう、でも、基本的は、その、苛められていても、その集団から離れられないという、その、依存関係の強さ、或いは、自己の弱さ、そのところのことがあるのだろうと思う、でも、まあ、多くのことができていく、また、行っていかなければならないと思う、そんなことになっている。