『自閉っ子、こういう風にできてます!』

saikaku2006-11-21

苛める方にしても、苛められている方にしても、大事なことは、自分が生きている、今生きている価値のある存在であるということを実感できているのかどうか、その点にあると思う、自分が生きる価値のある存在であるということ、その、周りの人との人間関係の中で、自分が関わりを持っている人から、その、自分の存在価値、それを認められていること、そのようなことがあればいいと思う、或いは、自分自身の内に、将来へかけての、その可能性の開花という、何か、自己の内に持っているところのことがある、それを表現していく、実現化していくことに意味があると、そんな風に自己の存在意義ということを感じていける、そのようなことがあればいいと思う、前向きに生きていける、そんなところのことがあると思う、でも、それが持てない、或いは、他者を、その、弱い者を虐げていくことに、自分の優位性ということを感じていくこと、他者に対しての差別的な行為、そのことによって、自分の存在意義、というのか、優位性ということを感じていく、或いは、苛められている、その状態にしか、自分の存在意義を感じられない、そのような状態から逃れてしまえば、逃れたいと思っていても、そうすれば、自分の存在意義、それも失われてしまう、そんなこと、他の誰からも見向きもされなくなってしまうという、そんなことになる恐怖、それを抱いている、そんなことにおいては、負の連鎖、そのことが起こっていくと思う、大人自身、親自身、会社からリストラされるかもしれないという不安感、何か、自分の能力を更に搾り取られていくところの情況、大人自身、その存在意義を感じているのかどうか、そして、そのことが、子供へと、小さい者を虐待していくことになっていくという、また、更に、弱い者へと、その、相手のことを理解していこうとすること、或いは、その話を聞いていくこと、それだけのことでいいと思う、そのように接していくことが、すなわち、相手の存在ということを認めているということになる、その、相手の話を聞いていくのはいいが、その後で、指示、命令をしていくということになっていけば、それは、相手の存在を打ち消している、そのようなことではなくて、ただ、相手の存在ということを、その、ただ、存在しているということ、そのことだけで価値を持っている、生きていく価値を持っているということを感じられていくように、そのように接していくことが、そのことが大事なことなんだと思う、その為のこととして、自分自身が、相手を虐げる、下に見る、そのようなことをしなくても、ただ、自分自身のこととして、その、自己を基盤として、その存在意義を感じている、そのところから、相手のことを受け留めていくということに、そんなことになっていくのだと思う、一人ひとりのこと、その生きている価値、それに繋がっていくように、その、一人ひとりの生き方、それを知っていくということ、まあ、そんなところから初めていけばいいのではないかと思う、一人でも多くの、そのようなことを知っていく、そのようなことをしていけばいいのではないかと思う、一つの方向性として。