『子どもと悪』

saikaku2006-11-23

社会において、特に学校においては、標準ということが意識されている、或いは、偏差値、或いは、制服とか、そのようなこと、或いは、単に、普通とか、みんなが、とか、そんなふうに言われるところのことがある、その、よく考えれば曖昧な、そのような標準ということを基準にして、人を判断していくという、或いは、評価していくということが行われている、絶対評価といっても、それは言葉だけのことで、実際は、比べるところのもの、或いは、教師自身のきわめて主観的な基準、それを基にして評価されている、テスト問題として何を出題するのかということからして、主観的な判断ということが含まれている、そう、そして、その、普通なことを基準とする評価によって、異質なもの、それが排除されていく、その基準によっては図れない、ということは、その独特の価値を持っているということだと思うが、その、図れないということが、何か、脅威として感じられてしまうのではないかと思う、そして、排除されていく、そんなことになっていく、その一元化されているところの基準、それを廃棄するところから、どうすればいいのかと、それは、簡単なことで、現場に還る、それだけのことなんだと思う、その基準、件曲は上から与えられているところのことであって、その延長線上に、教師も同等の基準によって評価されるのだという、教委からの脅威、それが存在している、それだけのことであって、現場に還るというところから、その実態に基づいていくところから始めていけばいいと、もう一度作り直していくことをしていけばいいと、そう、それだけのことなんだと思う、上を見上げていくのか、周りを見ていくのか、それだけのことだと、上を見ているもの、牡丹餅が落ち来るのを待ち望んでいるという、まあ、哀れ、そんなことに気づいていくこともあるのかと、そんなことを思う。