『子どもと悪』2

saikaku2006-11-24

もっと自由に考えていく、もっと、その、思い込んでいるところの枠、それを外していく、或いは、乗り越えていく、自分の活動範囲、それを広げていく、他者の領域とか、そのようなことも侵入していくということになっていくと思う、結局、その、やるべきところのことをしていない、丁寧に話を聞くということをしていないから、距離を置いているというところがあるから、もっと、私自身が、その弊害ということを補っていくということもある、そう、そのように考えていく、人の話、その関係者の話、それを、もっともっと丁寧に、しっかりと聞いていく、そのようなことが大事なことだと思う、また、自分には、そのようなところで、その、私の持っているところの能力というのか、技術というのか、それが活かせていけると思う、また、人の役に、支援に役立てていくことが出来ると思う、そんなことを思う、電話相談ということも、それも想定しうるところのことになっている、そう、いろんなこと、夜、周辺を歩くということについても、もう、完全に、その、怖さということを払拭できたと思う、そのようなことになっている、もっと、そう、いろいろな人の話、それを聞いていく、こちらが心配しているということよりも、そう、行動に移していくことの方が、そのことの方が大事であるということを知った、昨日のことで知った、そんなことがある、そして、もう一つ、そのことについては、情報を共有していかない、そのことがある、共通理解といっても、相手が理解したがっているのか、そのことで判断していく、共有していくことが前向きなことになっていくのかどうか、そのことを判断していく、だから、関係者に、自分が得たところのことについて伝えていくということは、そのことはしないと思う、無条件にしないと思う、独りで抱え込んでいくということでもないが、そう、全体に伝えていくということもしない、相手のことを見ていく、それで判断していく、そう、そのところを割り切っていく、そんなところも、結局は、今までのことから、その、変わってきているところのことなんだと思う、自分にとって、私自身にとって、そう、前向きなこととして判断できる、そんなところのこと、それによって判断していこうと思う、まあ、そのようなことになっていく。