『自閉症裁判』2

saikaku2006-11-30

昨日、研修会に参加する、何の研修なのか、初めははっきりと分かってはいなかった、そして、床に寝っころがって静かに動作を始めていく、その、骨の動く感じを掴んでいくという、足首から股関節への動き、腰骨から背骨を通って首の骨までの動き、そう、そんなことを、体内の骨の動きを感じていくという、まさしく、身体の声を聴くということ、そんな演習であった、と、それを始めてから暫くして、気付いた、そう、これは昔やったことがあると、京都の、何処の寺だったのか、後で聞いたら、仁和寺だそうで、そこだったのかどうか、確か、合宿ということで、1泊課2泊したような、バスタオルを一枚必ず持参するということも珍しくて、参加したことを思い出していた、床に寝ている状態から、如何に無理なく起き上がれるのかという、その動きから、足の動きからから始まって、どのように体全体を動かしていくのかという、そんな演習を思い出していた、まあ、身体のこととして、そのようなことを記憶していたのだと思う、そう、そんなことがあった、フェルデンクライスという人が考案したというか、そんなことだったと思う、自分で自分の身体の疾患というか、不調を克服したというようなことであったと思う、そう、そんなこと、その、身体の内部の動き、骨の動きを聴く、或いは、血流を知るということも、それは後のことであったのかどうか、そのことに関連して、その、京都まで足を運ぶということになったのか、その、静かに、仰向けに寝ている、そして、その、心臓が血液を送り出している、そして、動脈が膨張するという、そして、胴体から足の方へ向けて流れていくことを感じるとか、その、身体が少し膨張しているところのことを、そのことを感じていくこと、そんなところのこと、そんなことを行っていたと思う、そう、そんなところのことがあった、身体の動きを知っていくこと、何か、そのことも、自分自身が、どんなことを感じているのか、その、心の動き、感情の動き、それも、その、身体的な表情として、そんなこととして現れていくのではないかと思う、そう、そんなところから、更に、フォーカシングということへ進んでいったのか、と、まあ、何か、もう一度、その、今、昔学習したところのことを繰り返してみようとしているときに、昨日のことは、その魁となるような、そんんことであった。