『嫌な子・ダメな子なんて言わないで 』

saikaku2006-12-15

他者のことを受け容れることができるのかどうか、そのことは、自分自身の生き方に関連している、その、自分で判断出来ないこと、人から言われて行動できる、指示を受けているという、そのようなことに甘んじていると、自律的な行動ということが出来なくなってくる、そして、人の対して受けがいいように、或いは、いつまでもいい子を続けていくというように、自分の気持ちということよりも、人からの依頼、それに応えていこうとする、そう、そのようなこと、そして、一杯いっぱいになってしまって、もう、これ以上受け容れられない、今でもしんどいことなのだと、疲れていることなのだと、そんなことになってしまっている、だから、楽しむということも出来ず、楽しんではいけないとまでも思い込んでいる、まあ、そのようなこと、その、自分からのこと、自己からのこと、それは、自分から楽しんでいくことが出来るし、まあ、疲れるということがあっても、高揚している気分を維持していけるのではないかと思う、そして、その、必要に応じて、相手のこと、他者のことを受け容れていくことも出来る、その許容量は、もしかしたら、無限ではないかと思える、そう、自分自身のこと、その、自己からのこと、本当のところのこと、それにしたがって生きていく、自分の人生を生きているというのか、そのようなこと、それが大事なことなんだと思う、私自身のことにしても、その、興味を持つ本、或いは、関心のある人、何処に、その違いがあるのかと、そのことを考えていたときに、結局は、その、本当のところのこと、自分自身の、その、本当のところのことにしたがって生きているのかどうか、そのところにあるのではないかと思う、だから、最近、自閉症とか、ADHDとか、そのような本を読んでいる、それも、結局は、その、障がいを持っている、ということ、そのことは、自分のこと、その、独自な世界のこと、それも、本当のところのことなのではないかと思う、その、障がいを持つ人、その、自己を表現するということにおいては、何も障害を持っていない、そんな感じがする、自分のありのままを生きているという気がする、逆にいえば、健常者というのか、何もないと、そのように思っている普通の人というのか、そのような人の方が、自己を表現するということにおいて、その、障害物を持っている、思いのままの自己を表現するということが出来ないという、そんなところがあるのではないかと思う。