『素晴らしき哉、人生』

saikaku2006-12-24

人間観というもの、それを変えていく必要があるのではないかと思う、多くのモノを持っている者、多くの知識を記憶している者とか、多くの金、財産を持っている者とか、何でも、その、多くのモノを持っている、そのようなものが優れている、という、そのような人間観を改めていくことが、そう、必要なことなのではないかと、多くの知識を幼児の頃から詰め込まれて来ても、それをテストだけのことではなくて、或いは、クイズ番組だけのことではなくて、生活の中に置いて利用していくことが出来なければ、無意味であると、また、今、多くの知識、或いは、情報を持っている必要もない、そう、インターネットで検索することも出来る、金を、財産を多く持っているとしても、あの世まで持って行くことも出来ない、そう、今のところのこと、何か、そのようなことわざ、というか、その、持たざる者は幸せ、そんな言い回しがあったのではないかと思う、確かに、そのようなこと、或いは、情報といううモノが、そのように保存されているように、自己のうちにおいても、その、普遍的なところのこと、或いは、集合的なところへ通じている、そんなところがあると思う、自己を通して、その、無尽蔵な、そんなところへアクセスすることも出来るのではないかと思う、多くのこと、そう、表面的なところのことではなくて、自然と、そのような、或いは、深くのところのことへ通じていける、そんな回路があると思う、そう、表現するということを、自己を表現する、そのことを続けていくことになると思う、人それぞれのこと、それぞれの生き方がある、どのような関わり方ということになっていくのか、それを基本的なところの、その、自分の職業としていくこと、そう、その、自己を表現していくということは、それは、自分自身の仕事としてある、その、職業としてのこと、その働きと、自己の仕事としてのこと、そのことが、その両方のことが、何とか、そう、折り合いをつけていくことが出来る、そのようなことであれば、そのようなところの接点、そのようなことの中に、生活の起点を見つけていければいいのではないかと思う。