『このゆびとまれ』

saikaku2007-01-10

これからの自分の存在ということについて考えていく、その、仕事場においても、自分の存在感をだんだんと薄れさせていくような、そんなようなことを考えていく、その、ただ、相手の話を聞いていくだけの、自分のことはもうあまり話さないような、ただ、聞き役に徹するというような、モモのような、そんな存在になっていこうかと思う、或いは、無為の力ということを信じていこうかと、そのようなことを思う、ただ、相手の話を聞くだけのこと、そして、一切、その、指示的なこと、指導的なこと、命令するようなことは言わない、そう、どのように行動していくのか、それは、もう全て相手の問題ということであって、そのようなことであって、私のことではないと、その区別、それを明確なものにしていくということが、そんなことが出来るのではないかと、そのようなことを思う、本当に、ただ、聞くだけのこと、そう、そのようなことに徹していく、でも、まあ、往々にして、何か、そう、こうすればいいとか、そんなことを言ってしまっている自分を見つけてしまうが、そう、そのようなことはどうなのだろうかと、その為には、自分自身の遣るべきところのこと、そのことを、その、誰のことでもない、誰にも逆に指示を受けない、そんな自分自身のこと、そのことに没頭していくということが、そして、相手については、そのことについて、ただ、どのようなことになっているのか、ただ、その状況ということを聞いていく、まあ、そんなことなんだと思う、そして、その、自分の存在ということが、ありそうなのかどうなのか、というか、ナチュラルな存在感というか、そんなふうになっていけば、目立つでもなく目立たないでもなく、そのような存在、まあ、そんなことになっていけばいいのではないかと思う、そう、・・・この本は良かった、自伝的な小説ということになるのだろうが、その、ろうということ、或いは、難聴であるということを抱えている、そのようなことから、同じような状況にある人たちとの交流の輪が広がっていくと共に、健聴者との繋がりも出来ていき、そして、その存在が、そう、それも自然なこととして、ナチュラルな存在として認められていくような、そんなところのことが描かれている、そう、これは、本当にいい内容の本だと思う、何か、そのような自然性ということ、そんなところのことを感じているのかもしれないと思う、読める本というもの、そこには、何か、その、自然なところのこと、ありのままなところのこと、それがなければ、今は、読めない、そんな気もする、フィクションであるとか、ノンフィクションであるとかいうことではなくて、自然性という、そのようなところを感じているのではないかと思う。