『無為の力』

saikaku2007-01-11

その、モモのように、ただ聞くだけのこと、相手の話を聞いていく、それだけをしていくというのは、カウンセリングのいわば完成型だと思う、こちらからは何も言わない、返さない、言葉を発しない、でも、相手の話を聞いていくということが出来るということは、そのようなことではないかと思う、カウンセリングにおいては、その、聞くということは、相手が話を続けていくこと、傾聴するということは、逆に、相手が十分に話し、心の内のことを打ち明けていくことが出来るように、こちらも心を開いているということを示す為に、その、いわゆる、言葉は悪いが、作為的なことをする、鸚鵡返しとか、そんなことをする、相槌を打つ、或いは、要約していくとか、本当に聞いていますよとか、無条件に聞いていますよとか、何らかのシグナルを送って、そして、相手が話を続けていくという場を維持しながら、その、聞き続けていくということをしていく、そのようなこと、でも、ただ聞く、何も返事を返さない、言葉を返さない、ただ、聞くという姿勢、おそらくそれだけが、その、相手に返っていく、そう、自分が耳だけの存在になっているということが、相手には伝わっていく、視覚的なことに対しては鏡があるように、ただ、相手のこと、そのことを映し出している鏡、そんな超感覚的な鏡になっている、そんなことが伝わっていく、もし、ただ、聞くということだけをしていくという場面は、そんなことになっているのだと思う、そう、それは、自分が存在しているという、ただ、それだけで、相手が話を続けていくということになる、それが自然に出来ていく、そんなこと、だから、むしろ、私が存在しているという、その存在感があれば、そのことの方が障害になっていくと思う、そう、その存在感に威圧的なものを感じてしまえば、おそらく話を続けていくことは、何か言われるのではないかという、そんなことを感じれば、話を続けていくことは不可能なことになると思う、だから、ただ、聞くだけのことが出来る為には、その、自分の存在というものが、あるにはあるのだけれども、でも、その存在感はないような、そんなことになるような、何か、変なことが起こるのではないかと思う、そう、そのようなことになっていく、空間の一領域を占めてはいるのだけれども、でも、その存在は感じられないという、そのようなこと、そう、或いは、暖簾のようなもの、それはそこにあるが、でも、障害にはならない、でも、風の動きを感じているような、そのようなもの、そう、どのようなことになっていくのか、そう、何か、一つの方向性は持っている。