『ふれていたい』

saikaku2007-01-18

聞くということを生き方の中心的なことと考えていく、相手の言うことを受け容れていくということ、或いは、本を読んでいくということにおいても、その内容ということについて受け容れていくということ、そして、自己の感じるところのことを表現していく、そのようなあり方、でも、今まで問題になっていたのは、どのようなことを受け容れていくのか、その、受け容れるということについて、何らかの規制を設ける、なんでもかんでも受け容れていくということではなくて、何か、自分にとって意味があるところのことだとか、表現するということに貢献するところのことであるとか、そう、何か、意味が感じられない、そんなところのことは、本にしても読みきらない前に捨てていくとか、何か、そんなことを考えていた、また、そのようなことを実行してもいたが、何か、そのところのこと、どうにも抵抗感がある、気持ちの整理が付いていない、どのようにしてその意味があるとかないとかの判断をすることが出来るのかという、そのときどきのことになってしまって、そう、何か、引っ掛かりということを感じている、そう、そんなことになっている、聞くということ、そのことにおいても、人の話、そのことを無条件に聞いていくということ、そのような方向へシフトしていると思う、意味があるとかないとか、そんなこと、ただ、聞くということに、そのことに重きを置いていこうではないかという、そんなことを考えている、いつも開いている耳の機能を遣っていくということ、だから、どうなんだろうかと、本を読むということにおいて、そう、一度手にした本、それは、最後まで読み通す、何があっても、最後まで行き着くという、そんなことは出来ないかと思う、その、受け容れていく、或いはいかないということ、そのことの判断はしない、ただ、受け容れていく、そのようなこと、受け容れがたく感じるのは、何か、自分自身のうちの問題であって、相手に起因することではないのではないかと思う、そう、そのようなところのこと、できるかぎり、その、何らかの関心を持ったことについては、受け容れていく、そのようなことが出来るのかどうか、そう、しばらく、その方向で遣ってみる。