『ふれていたい』2

saikaku2007-01-19

一冊の本を読み切っていくということ、最後まで読み通していくということ、一度読もうと思った本についてはそうしていくということ、まあ、いいのではないかと思う、何か、決意の程が違っている、はじめから最後までどうあっても読んでいこうという意気込み、それが違っていると思う、そう、その第1冊目の本、こんな展開になっていたのかという、そう、舞台がインドネシアまで行くのかと、はじめはおもしろいとは感じていなかったが、まあ、最後まで、少しは面白さを感じながら読み進めていくことが出来た、まあ、このようなことが起こるのだと思う、そう、このようなことでいい、人の話にしても、その、無条件の傾聴ということ、そのようなことが言われる、それを同じことなのだと思う、面白いとか面白くないとか、そのようなことで判断していくのではなくて、最後のところまでとにかく進んでみること、まあ、その、途中いろんな困難があるとして、まあ、最後まで行き着いてみること、そのような姿勢も大事なことなのではないかと思う、そのようなことも、その、自分の判断、自分の感情ということ、そう、判断している自分というか、或いは、面白くないと感じている自分ということ、それを無くしていくということ、そう、その存在を希薄化していくということになっていくのではないかと思う、まあ、そのようなこと、何でも、そう、どのようなことであっても受け容れていくということ、そのことについて、どう感じるのか、自分からどのように反応していくのか、何を返していくのかということは、それは、自分自身の内側の問題であって、ただ、その、外からのこと、その、受け容れるということを、そのように決めたことは、まあ、最後まで、その、意思の力として、そのことを受け容れていくということになっていく、最後の帰り着くところまで歩いていくように、そう、そのようなことと同じように、ともかく、最後のところまで行き着く、そのようなこと、行ということにも似ている、そんな感じがする、どれだけ、自分の内の、その抵抗感を無くしていくのかという、まあ、そのようなことでいいのだろうと思う、聞くということから始まって、そのような生きる姿勢ということ、生き方の問題ということへ展開してきた感がある、そのこと、多くのことを書いていく、言葉にしていく、今、この場においても、そのようなことを行っているように、そう、多くのことを表現していく、そんなところのこと、そして、多くのこと、最後までのことを受け容れていく、そう、そのことの繰り返し、そんなところから、その、自己についてのこと、それについて識っていくということへ、そう、自己を識るということへ進んでいく、まあ、そんな道筋が整いつつあるということではないかと思う、後は、そう、そのことを日々実践していくという、まあ、それだけのこと。