『回り灯籠』

saikaku2007-01-20

独りの人が生きていくということにしても、どのような生き方をしていくのか、その基本的なところは、その可能性としてのこと、或いは、自己から生まれて来るところのこと、そのことを如何に表現、或いは、実現化していくのか、そのところにある、そして、そのことが自己を識るということに繋がっていく、ただ、その表現することそのものが生きるということになっている、そう、そのようなこと、でも、人は、その表現されたところのことによって他者に認めて欲しいとする、そんな期待を持つ、他者によって認めて欲しいと、そして、仲間内を作ったりもする、結束していく、また、異質なモノの存在を排除していくこともする、そう、それは、もう自己を表現していくということではなくて、自立的な生き方ではなくて、その仲間内に利益ということを優先しているということ、その中で自分の存在というモノは安泰であるということ、それが保証されているという幻想を持って行く、まあ、普通なそんなことなんだと思う、でも、それはいつまで続かない、固定されたところのこと、それが風化していくこと、時代の動向に取り残されていくのは自明の理、組織体にしても、或いは、国家のあり方としても、まあ、同じようなことなのではないかと思う、その、潜在的に在るところのこと、基本的なそれを構成している人材ということになるが、一人ひとりの人間ということになるが、それぞれが、どのような能力を持っているのか、また、それを遺憾なく発揮できているのかどうか、規制の網が掛かってはいないのかどうか、そんなところがある、一人ひとりのこととして、それぞれが、自分だけのこととして、その、自己の有するところのモノ、それを表していくこと、ただ、そのことが出来ていけば、そう、そのことになっていけば、そう、苛めとか、そんなことも、虐待とか、そのようなことも無くなっていくのではないかと思う、この本の中には、戦争末期、日本の近海で沈没した潜水艦の、そこに乗務していた水兵の話が出て来る、その、沈没しても気密室であったところで窒息死していた水平が、ベッドにきちんと寝ているように死んでいた話が出て来る、従容として死を受け容れていったのか、酸素が全くなくなるところまで、そう、静かに死を受け容れていったのか、そんな話が出て来る、その作家の死ということを思い出す、何か、同じようなことではなかったかと、そのようなことを自分のこととしても実現したのではないかと、そんなことを感じる、その、人の生き方、或いは、死に方、個室の中での、誰にも見られていない中での死に方、salvageされるのかどうかも分からない、そのままのことになってしまうのかもしれない中で、ただ、自分だけの仕事として死ということを受け容れていくこと、そのようなあり方、それだけでも、何か、動かされるところを感じる。