「『狂い』のすすめ」

saikaku2007-02-07

自分は自分、相手は相手、そのように、それぞれの生き方のこと、認めるということでもなくて、ただ、それだけのこととして見ていくことが、そう、どうして出来ないのだろうかと思う、人の話に口を差し挟んでいく、或いは、自分の知っていること、その知識を開けかしていくとか、そんなことをする、そこに、自分の存在価値があるかのように、自分の持っているもの、知っているもの、その所有しているところのことによって、自分の存在ということを明らかにしていくという、認めて貰おうとする、そんなところのことを感じる、そして、更に、相手のことに関わっていく、その、指導をしていくとか、指示をしていくとか、そんなことになっていく、自分の考えているところのことが、いかにも正しいかのように、そう、そんなふうに、相手の生き方へ干渉をしていく、そのようなことになっている、そのような弊害が、今の学校においては多く見られる、そのことの影響が、その、苛めの多発ということになっていると思う、その、教師としてのあり方、生徒への指導という、そのようなあり方、素直な生徒、教師のいうことを素直に聞く、従順な生徒の評価が高いということ、そのようなこと、それがある、そして、そのようなことが、生徒間においても行われている、或いは、強要されている、そう、そんな人間関係のあり方、もっと、そう、それぞれのこととして、そして、自分自身の、その、遣りたいこと、その、自分だけのこととして、他者の生き方は関係のないこととして、その、自分の生き方を考えていく、その、人の役に立たなければならないとか、社会の為にならなくてはいけないとか、そんな束縛も外していこうと思う、そう、直接に役立たなくても、間接的に、また、その、3乗か4乗ぐらいのところで役立っていけば、十分だと思う、そう、先ず、自分のあり方、そのことを考えていくことが、そう、大事なことなのだと、自分の遣りたいことを見つけ出していくこと、おそらく、義務教育の目標というのは、そのことに尽きるのではないかと思う、そう、自分の遣りたいことを見つけ出していくこと、それだけ、そして、もし、その、相手の生き方に関心を持つ、そのことから、自分の生き方にプラスとなるもの、そんなところを感じるとき、その、相手の生き方から学んでいくということをすればいい、と、そんな、何か、スマートは、そんな人間関係のあり方、そう、そのようなことが出来ていけばいいと思う、また、いじめの問題ということが克服されていけばいいと思う、そう、いじめの問題というのは、自分自身の生き方の問題でもあるのだと、そんなことを感じる。