「おばあちゃんが、ぼけた。」

saikaku2007-04-06

大事なことは、自分の生き方の指針ということを、外のことに求めていくのか、それとも内に尋ねていくのか、その違いだと思う、外へ求めていくとは、他者の意向に従っていくこと、或いは、その指示を待っているということ、そのようなことだと思う、自分で判断出来ない、決められない、そして、自分で行動出来ないということなのだろうと思う、自分自身のことを見失っているという、そのようなことではないかと、ニートと呼ばれる者たち、何か、自分の遣りたいことを見失っている以前のこととして、自分自身を見失っているという、そんなことなのだと思う、そう、そのようなこと、その、どのように生きていけばいいのか、その答は、自己の内にあるということ、そう、自分自身のことを識っていくこと、そのようなことの中から、次のこと、自分が為すべきところのことが見えてくる、まあ、そんなことになってきている、やっとというべきなのかもしれないが、そのようなことになってきている、人のことに惑わされず、といっても、人の意見を聞かないということでもなくて、その多くのことを聞いていると思う、或いは、本もより多く読んでいると思う、日経も、より隅々まで、直接関係の無いところまで読み込んでいると思う、そして、そのことを、多分、その自己の内へ、自己の内の深淵へ放り込んでいるような気がする、そして、そのことの中から、どのようなことが生まれて来るのか、どのようなイメージが起こって来るのか、そのことを待っている、そのことを表現していく、まあ、そんな生き方になっていくのではないかと思う、その、特別支援教育ということについて、どのように進めていけばいいのかという、トップのほうの方針ということも、多分定まっていないのではないかと思う、でも、もう、事は進んでいる、もう、直接に生徒と関わっていく時期が迫っている、止められるようなことではなくて、みんなの合意ということを首を伸ばして待っているということでもなく、そのようなところのこと、自分のことに、自己の内の羅針盤に従って、その、自分の言動ということを、どのようなことをしていくのか、私は、先行していく、或いは、潜行なのかも。