「アグネスラムのいた時代」

saikaku2007-04-08

他者の意見に従う者、或いは、自己の内にある者に従う者、その違いは、どのようなことを言うのか、どのように言うのか、その違いとなって現れてくるように思う、自己の内にあるもの、それを実現させていくこと、そのことが生きることの目標になっていれば、そのことは、必然的にこれからのことに焦点が当たっていく、どのように自己を実現していけばいいのか、そのことが問題になっていく、将来のこと、そのことを語る、どうしてもそのようになっていく、でも、他者の意見に従う者は、結局は、どのように行動していけばいいのか分からない、どのようなことをしていけばいいのか分からない、そのヒントになるのが、一つには、前例はなっているのかということ、前任者はどうしていたのかという、そんなことを繰り返していくということになる、また、初めてのことなら、特別支援教育というもの、どのように進めていけばいいのかという、その手本となるモノが無いという、でも、小中では始まっている、でも、高校では始めて、そんなときには、そう、周りと見渡す、他の学校ではどうして行くのだろうかと、協力というか、或いは、牽制し合うというのか、まあ、そんなことをしていく、だから、過去のことを喋る、自分の思い出話、経験談、そんなことを喋る、後ろを見るのか、或いは、せいぜい横を見ている、そんなことになっていく、そのような違いがあるのではないかと思う、そう、どのような仕事においても、その、そこそこ出来るという状態が、3年ほどでやって来る、そこそこ出来る、問題は、そのところから始まる、そのような高原状態、それに満足してしまうと、それ以後の展開ということは亡くなってしまう、もう、それでいいということになってしまう、そう、そのようなこと、私の場合、その、教師としての初期状態のときに、そう、在り来たりの教師ではない人物が傍らにいたということが、それ以後のこと、今までのことになって来たのではないかと思う、また、これからのことになっていくのではないかと思う、まあ、そのようなことがある。