「東京タワー」3

saikaku2007-04-12

昔に買っていた本、小田実大江健三郎高橋和巳、或いは、武谷三男とか、江藤淳、そんなところの本を全て処分してしまった、或いは、古本屋へ持って行ったけど、ほとんど値段がつかなかった、もう価値のないものとして扱われただけだった、でも、本当にそれらの多くの本を買っていたと思う、実際に読んでいたかというと、それほど読んでいなかった気もする、何か、勢いで買っていたような、そんなところがあった、大江の本なんかは、本当に読まなかった、読んでも分からない、何をぐだぐだ書いているのか、とんと分からない、そんなことだった、でも、買っていた、そう、どうして買っていたのだろうかと、そんなことを思うが、買うことだけに、その本を持っていることだけに価値があったのか、そんな気がする、今なら、絶対そんな無駄なことはしないと思う、まあ、そんな時期だったのだろうと思う、何かを知っている、彼らは時代の動きとか、何を知っているという思い込み、そんなところのことがあったのだと思う、イデオローグというのか、そんなところだったのだろうと、でも、今、何も残ってはいない、自分自身の内に何も残っていない、そう、そのような思想的なもの、単純に、頭で作られたところのもの、組み立てられたところのもの、そのようなもの価値を見出していないというところのことがある、そう、そんなものには価値がない、ただ、壊す価値はあるのかもしれないが、でも、そのようなところを繰り返しているということも、それもある、でも、人を縛る思想、もう、それは必要のないところのことなのだと思う、どうしていくのかと、もっと、人間の、その自己の内実、それに従っていくという、そんなところの生き方こそ、そう、自分の感じているところのこと、そのことを形にしているところのこと、そのことが、別に他者の理解とか、賛同を得るということが無くても、ただ、その、自己の内からのことであれば、そのことが確信していけるところのことであれば、迷うことなくそのことを進めていく、その道を歩いていくということで、そんなことでいいのだと思う、まあ、近くに居る、というか、傍らを歩んでいる人のは挨拶を交わしていくとか、まあ、少し話し込んでいくとか、そんなことはあるとしても、自分の生き方を生きていく、そんなところのこと、人の生き方に共通したところがあるような、こう生きなければならないとか、そのようなことを暗に強要していくような思想、イデオロギー、それはもう不要なものになっている、でも、まあ、それが必要な人は、自分だけのことにしておいて欲しいが、でも、押しつけてくる、そんなところが鬱陶しいが、まあ、避けていけばいいだろうと、そんなことを思う。