「四日間の奇蹟」2

saikaku2007-04-18

もう一度元へ戻す、その、習字を遣っていくことを、もう少し控えめに、土曜日の午前中のこと、或いは、日曜日の夜の時間というように、もう少し限っていこうと思う、その、本を読むことが自分の内ではもっと大切な、今の時機においては、もっと大切なことだと感じる、その時間帯を換えていくのは、何か大事なことを見失ってしまうような気がする、そう、そんなことになってしまうと思う、本を読んでいくこと、そして、そのことについて書いていくこと、そのようなことが今の自分にとっては大事なことだと思う、でも、だんだんと、将来にわたって、それが習字を書くということへ置き換わっていくのは確かなことだと、まあ、いきなりは始めて行かない、だんだんと移行していく、そのようなことが出来るのかどうかわからないが、そうしていく、その、結局、特別支援教育というものが、何処までのことを意図して計画されてきているのか分からないが、その意味するところのことは大きなものがあると思う、その、子どもが、或いは、人が成長していくということは、その人自身が持っているもの、内に秘めているところのもの、潜在的なものを伸ばしていく、そんなことだと思う、でも、人は、往々にして、水を多く遣れば、肥料を多く与えていけば、より立派に成長していくのではないかという、そんな幻想を持っている、指導をしていけば、教え諭していけば、よき指導者の下で、より立派な人間になっていくのではないかという、そんなことを思っている、でも、結局は、人が成長するところのこと、DNAに存在しているのではないかと、そのようなことをイメージする、それがよく発現していくように、その生育環境を整えていくことが、その、周りに居るものが出来るところのことであると思う、そう、そんなことを思う、その本人自身のこと、生き方の問題に答が出せるのは、その本人だけのことであると、そう、自分を見失わないように、結局は、そのような関わり方、そんなことに行き着いてしまうのではないかと思う、だから、指導一辺倒な教師は、どうなんだろうか、理解出来ないのではないかと、そう、そんなところのことを感じる、そこまで、また、意図されていたものなのかということも、そう、そのことも定かでない。