「僕のこころを病名で呼ばないで」

saikaku2007-04-25

物事の順番ということをきちんとしていないと、これも何か不安感を掻き立てるということ、また、本を読む場所、習字を書く場所、それぞれに応じて、する場所を決めておかないと、そう、そのようにしないと、何か、居心地が悪い、そんなところを感じるということ、まあ、自分の性癖、或いは、性分、といってしまえばそれまでのこと、でも、このようなことに何かあるのではないかという、そんな気がしてきているが、まあ、そのように遣っていていいと感じている、ただ、仕事場においても、そのようなことを強要していくこと、或いは、そのことから他者のあり方を非難していくということには、抵抗があるのだろうと、これも感じる、そう、まあ、微妙なところのことが違っているのだという、そんなところのこと、これも学習効果の一つということなのではないかと思う、ただ、そう、自分だけのこととして、その、自分の仕事としてのこと、そのことについて、きちんと、物事の順番を決めていって、一つずつ片付けていくというか、まあ、そのようなことを黙々と、ただ、自分だけのこととして、只管行っていくのことの方が、無用な軋轢を回避出来るという、そんな気がする、そう、そんなところでいいと思う、特別支援教育に関わることを、その資料をまだまだ読み込んでいる、それに関する本も、多分、多く読んでいく、そのようなことをとおして、それが、特別なことではなくて、その、自分自身にも関係するところの、自分も含まれてしまうところのことなのだと、そのようなことになっている、その、ただ、教師と生徒との関係という、教える教えられる、知識を持っているいない、そのような上下関係ということではなくて、その、心理的なところ、精神的なところにおいて共通項を持っているというところから、そのところから始めていくという、そんなことになっている、自己を識るということも、その付帯的な、というか、或いは、これこそが本質的なところなのかもしれないが、お互いのこととして、或いは、相乗効果として、そんなところのことがある、そう、基底欠損という言葉ある、底が抜けているということ、足元が覚束ないということ、そんな状態にもなっていくのかと、或いは、今までしっかりとしていた基盤、地震が起こらないと思われていた土地、それが揺らぐ、というか、新しいところを求めていくという、まあ、そんな感じがしている、…今まで、名前の分からなかった野草があった、薄紫の小さな花を付ける、そして、茎は、すっくと一本で立ち上がっている、そのような野草、マツバウンラン、松葉海蘭という名前であることが分かった、まあ、一つ落ち着いた。