「時をかける少女」

saikaku2007-04-30

一日の生活のあり方、早朝からのこと、先ず、自己を表現していくということから始めていく、そして、次のように進んでいく、表現→日経→習字→数学→表現→書物・資料、と、そして、土曜日においても、或いは、日曜日にしても、この流れに沿って進んでいくということを、そう、そのように予定していく、まあ、どれだけ酒を呑まないようになれるのかどうか、それは分からないが、まあ、そのようなことでいいのではないかと思う、一応、今の段階としては、このように決めておく、そして、後は、実行していくというだけ、そう、実行していく、ただ、土曜日の午後は庭仕事、或いは、ビデオを観るということが入る、そして、日曜日の午前中はウォーキング、それが入る、まあ、このようなことでいいのではないかと思う、その、DVDを観ていた、タイムリープをすること、そんなに珍しいことではなくて、よく在るというほどのことでもなくて、でも、実際在ると、そのようなことを観ながら、ああ、自分にも在ったんだと思い出した、一瞬、時間がバックしたということがあった、そう、もう数十年前のことになるが、凍てついた道を走っていて、カーブでスリップをした、そのまま、確かに、車は土手から池へ突っ込んでいったと思った、その感覚があった、でも、暫くして、でも、ほんの一瞬だったのか、車は、タイヤが路肩にわずかに引っ掛かって、土手で傾いて留まっていた、そう、何か、そのとき、どうして池に落ちなかったんだと、そのことが不思議なことだった、そう、今思えば、タイムリープというか、少し時間が戻ったのだと思う、そう、そんなこと、別に、そのようなこと、不思議なことではないかもしれない、或いは、よく起こっているのかもしれない、そう、そんな気もする、その、時間というのは、勿論、単調に流れているということではなくて、その、物事に集中しているというときには、そう、速く流れている、そんなことを思う、或いは、留まっていると感じるときもある、そう、そんなこと、一様なことではない、何か、そのことにも秘密なところがあるのだろうかと、時間を操作してどうにかするということでは、本末転倒なことになってしまうのかと、そう、でも、そのところのこと、要は、何か、意識の有り様というところに関連しているのかと、そのこと、集中していくこと、没頭していくところの時間、そのような時間を過ごしていくことに意味があるのかと、そんなことを思う、少しの時間であっても、その、集中できるということが、そのことが大事なところなのだろうと思う。