「他の誰かになりたかった」

saikaku2007-05-07

何か、その、メモをとらなくてもいいのではないかと思える、今までは、メモ用紙が傍にないと、どうも不安なところがあった、大事なところを書き留めていくことでないと、本を読むということ自体が無駄になってしまうという、そんな気持ちがしていた、でも、その、自由なこととして、もっと自分の心の内の機能というものを信頼していくということも出来るのではないかと思う、そう、多くのことを受け容れていくこと、そして、そのことについて、全体としてのこと、その印象ということから書き始めていくこと、そのようなことも出来るのではないかと、一枚一枚のメモ用紙に拘ることなく、そう、大まかなところのこと、全体としてのこと、心の全体でどんなふうに感じとっているのか、そのことについて書き始めていく、そのようなことも出来るのではないかと思う、何か、まだまだ、その、拘っているところのこと、堅苦しく感じているところのこと、自分で制約を設けているというところのこと、そんなことがあって、自由に感じとる、そんなことが出来なくなってしまっている、話を聞くことにおいてもメモをとらない、そう、それをしてしまうと、どうしても相手の話に、或いは、どんなことを相手が感じているのかということへ集中出来なくなってしまう、そんなところのことがある、そう、ただ、自分の心の内へ受け容れていくということをしていく、出来るだけのこと、その情景、イメージ、それを思い浮かべていく、視覚的な理解をしていくという、そんなこと、そして、そのことを総合していくところのことは、そのことからどんなことが顕れて来るのかということは、心の働きに任せていく、そして、ただ、今、このように、その、出て来るところのことに従って、言葉として表現していくということになっていく、まあ、このようなことでいいのではないかと思う、その、独特のところのこと、その文章も一定していない、話があっちへこっちへ飛んでいる、そのようなことなのだと思う、その一つひとつのことが、その、統合するということを欠いている、そのようなこと、でも、その通じるところのことが分かる、そのようなところ、共通するところのことがあるという、そんなところが分かる、他者のことを理解していくということ、その、表面的なことではなくて、その、深層に渡るまで、そう、心の奥深くのところにおいて分かる、そんなことが必要なことなのだと思う、そう、そんなところからも、一つの文、それに感心するだけのことではなくて、どうしても、その、全体のこととして、全身全霊を賭けるというほど大袈裟なことでなくても、でも、それぐらいの気持ちがないと、他者を理解するということは出来ないのだろうと、そんな気もする、まあ、少しずつのこと。