「子どもたちの心の病を治した犬」

saikaku2007-05-08

そう、このような犬がいる、確かに、ただ、子どもたちの傍らに居る、そして、如何にも、その、子どもたちの心の状態を、その内にある怒りを、攻撃性を受け留めていくということをしている、悲しみを受け留めていこうとしている、そう、そのようなことが犬にも出来る、或いは、犬だから出来る、人間はものを言ってしまう、こうをすればいいとか、どうして出来ないのだとか、そんなことを言ってしまう、その存在の有りの侭、それを受け留めていくことが出来ない、理に働いてしまう、そんなところを持つ、そのままの感情を受け留めていくことが出来ない、自分の感情さえ、何か、理屈を付けて抑圧してしまう、そんなことをしてしまう、先ず、自分の感情というものを、そのままのこととして受け留めることが出来れば、次の段階へ進んでいけると、それだけの、次の段階へ進んでいけるだけの力も有していると、また、それも信じられていると、まあ、そのようなことなのだろうと思う、そう、いろいろ考えさせられるところの本だったと思う、確か、以前にも読んでいたような気がする、でも、もう一度であっても、新鮮なところを感じた、これも、そう、自分の仕事においては、中核的なところのことに関わる本だったと思う、そう、そして、何回も、その、また、自分の生活時間のことに戻っていく、どのように、何を行っていくのか、何処で、それを行っていくのかということ、全体としての見透し、そのことを考えて、その配分、いつ、何処で、何を行っていくのか、そのことを自然なこととして、そう、自然な流れの中で、周りのことも意識しなくても言いように、そう、そのように、あくまでも自然体で行っていくということ、そう、その為にはどうしていけばいいのかという、そんなことを、また、考えている、その為のこととして、そう、一つには、表現するという時間と、もう一つ、振り返るという時間、そのことを分けていく、そう、そんな時間を設定していくのはどうかと、その、本を読む、そのことについて、このようにタイプしていくように書いていくということではなくて、何か、その直後に纏めていく、そう、振り返ることによって纏めていく、そんな時間、そのようなこと、メモをとるという、そんなことにも共通していくのか、ただ、抜き書きするような、そんなメモをとるのではなくて、それは、何か、四dねいる途中において抜き書きするような、そのときには、あくまでも、大事なこと、忘れてはいけないことを書き留めているという、そんなことをしているつもり、でも、それだと、その大事な言葉が、文が、心の内にまで這入り込んでは行かない気がする、そう、そんなふうに感じる、だから、読み続ける、でも、その、後において、どのようなことになっているのか、自分がどのように変化しているのかということを確かめていく、その為のこととして、メモをしていくという、そんな時間を設けていってはどうだろうかと、そんなことを思う、まあ、実行。