「ずっと『普通』になりたかった。」2

saikaku2007-05-11

メモをとること、その効果について、今、疑問に思っている、確かに、メモをとりながら読むことをすれば、確かに読み進んでいくことは出来る、先舳先へ興味を失わずに、何か、いい言葉、いい文が見つかるのではないかという期待に添って、読み進んでいくことが出来る、そんなところがある、でも、人の話を聞きながらメモをとるということが、何か、相手のこと、感情としてのことを聞き逃してしまう、どのような事実について言っているのかということ二環心が向かってしまって、その、事実としての言葉をメモしていくということに傾いてしまった、相手がどのようなことを感じているのか、そのことへ傾聴していくことが出来なくなってしまう、それと同じように、文章を読みながらメモをしていくということが、何か、その、全体的なことを見失う、そんなことになっているのではないかという気がしている、結局は、そのメモしたところのこと、役には立たない、そのメモを見て更に文章を書いていくことが出来る、自分の感じているところのことを表現していけるかというと、そんなことにはならない、そう、ただ、そのメモがあるということだけのことで、役立たない、そんなことになっている、このように文章が書けるというのは、自己を表現していけるというのは、単なる一文からということよりも、全体としてどう感じているのか、その、全体としての印象が基になっている気がする、そう、そんなことを思う、メモをとること、何か、そのとり方について工夫を凝らしていくことが、今、必要なことなのではないかと思う、そして、今も、その、丁度今、どんなことを感じているのか、心の内において、まあ、その印象を抱いているところの器を心と言えばいいのだと思うが、その、どんな印象を持っているのか、そう、混乱しているというところのこと、それを落ち着かせていく、その全体としての構図、何が起こっているのか、どんなことになっているのか、その全体的なところのことについてのこと、そのイメージしているところのことを明確にしていくという、そんなことが大事なことなのではないかと思う、そして、そのところから、その、イメージを意識化していくというのか、その持つところの意味を明らかにしていくというのか、そんなことにおいて、次に、その、自分自身として、どのような行動をとることが出来るのか、そんなところのことが出て来るような気がする、今、その、全体的なことを把握する、世界の構図を把握する、そう、そんなところのこと、まあ、心の許容量ということに、此処で関係していくのかもしれないが、より大きなところこと、まあ、そのことも、結局は、内と外との相関関係ということ、或いは、相乗効果ということになっていくのかもしれないが、事態を冷静に分析していくことにもなっていく、まあ、そのようなこと。