「イルカとライオン」2

saikaku2007-05-15

何か、遣り方を変えて行かなくてはいけないのかと、その、自由に書くといってもそのように出来ていないところがある、本を読んでいくことについて、その、どのように書くということへ、自己を表現することへ繋げていくのか、そのところのことがまだ問題として残されている、それほどのインパクトがなかったということなのかと、単純に考えればそのようなことになっていくが、でも、その、何かしらもっと多くのことを書いていくことが出来るのではないかと、今は、偏に、そのことを待っている、多くのことを書いていくこと、もっともっと、その、自己を表現するということについて、それを深めていくということ、その、壁のまで立ち竦んでいるという、今はそのような状態に居る、或いは、もっと大きなことを掴んでいるという、そんなところもあるのかもしれない、そう、もう識っていると、それを表せない、その、足元にそれがあるのに、そのことに気づかない、そんなことなのかもしれないと、あまりに巨大過ぎてそのもの自体が眼に入らない、そう、そんなことになっているのかもしれないと、まあ、でも、そのようなことでも、いつしか、そう、いつしか、そのことも、結局は視界に這入って来る、そう思う、人のことを理解していくということ、その、特に自閉ということを理解していくこと、そのこと、違うところのこととして、その、内界において自らを閉ざしているかのように、というか、その、人は、それぞれ違っているという、いわれれば、確かにそのようなことであると思うが、でも、結局、人間はみんな同じだと、自分と同じことを考えている、感じていると、つい、そんなふうに思い込んでいる、でも、自閉ということだけの限らず、人間のこと、一人ひとり、その思考回路は違っている、感情回路も違っている、そんなことなのだと、そして、そのことを理解していくということが、さて、本当に出来るものなのかどうか、そんなことを思う、理解するということよりも、その、相手の言動、行為、そんなことを通して、その、自己の内において、どのようなことが起きているのか、そして、私自身の問題として、どのようなことを表現していけるのかという、そのこと、創造的であること、そう、相手のことをテーマとして、如何に自己を表現していけるのかということ、如何に新しいことを創造していけるのかということ、そんなところのことが可能なことなのではないかと思う、そう、何か、そのようなところを、その、今の状態、すくんでいる状態から離れていける、新しい出口を見つけていける、出口というか、入り口というか、そのようなことになっていくのではないかと、自分自身のこととして、だから、数学ということについても、自然ということを理解していくということではなくて、あくまでも、自分自身の問題として、如何に深く広く表現していけるのかという、そのようなことが問題になっていくと思う、さて、もう少し。