「重力ピエロ」

saikaku2007-05-20

あるトレーニングに参加する、まあ、期待していたところもあったが、でも、のっけから、なんだ、これは、あの、フェルデンクライスの模倣じゃないかと、そのさわりのところ、それを真似ているだけのことなのではないかと、そして、身体のうちからエネルギーが湧いてくるとか、何か、似非科学的な言い方もあって、私の内からは反発する感じしか起こってこなかった、また、自由に身体を動かしていくということであっても、その、強制的に動かされそうなところもあった、何か、指示をしないということであっても、無意識には、そのようなことを行ってしまっている、そう、それも気づいていないところのことであると思う、でも、他の参加者の人は、それらしいことを言っているから、まあ、何か、恐ろしさということも感じていた、順応していくところのことがあるのではないかと、そう、それは恐ろしいこと、人のことを褒めるということも、まあ、大事なことなのだと思う、でも、強制的に褒めるというのも、面映いところがあって、そう、また、一時的にはいい感じになるというところもあるのだろうが、でも、自然な流れの中で、相手のところ、その、プラスなところ、それを言葉にして伝えていくということで、まあ、そんなことでいいのであって、意図的に褒めるというのは、不自然なこと、また、続かないことだと思う、そう、そんなところのこと、そのような不満だけが残ってしまった、もう、自分には、そのようなトレーニングとか、そんなことに参加をしていかなくても、自分で行っていくことも出来る、このように書いていることも、その一つのことであるし、まあ、自分のこととして、身体を動かしていくこと、そして、内側のことを感じとっていくことも、自分なりに出来るようになっている、そう、人間関係においても、褒めるだけのことではなくて、その、人間関係をしっかりとしたものにしていくことが大事なことであって、褒めるということだけで、そのようなことになっていくことは無い、そう、貶すことも、別に、場面によっては、そう、必要なことになっていく、何か、表面的なところのこと、そう、そんなところのことを追い求めているような、そんなことであった。