「モーツァルトとクジラ」2

saikaku2007-05-22

そう、人間を理解するということに目標を定めていこうかと思う、いろいろなことを行うということよりも、数学の勉強をするということよりも、人間そのものについてのこと、そのところへ焦点を当てていくという、そのようなことの方がいいのではないかと思う、ただ、心理学関係の本を読んでいくということだけではなくて、児童文学から小説まで、いろいろなフィクションもの、或いは、もう一度、映画を観るとか、そのようなことも視野に入れていく、人の話を聞いていくことは勿論のこととして、そう、そのことがいちばんのベースになっていくのかもしれないが、その、人間について理解していくということ、それを目標にして、そして、時間配分を考えていくという、そんなことをしていきたい、そう、思うに、どうして、その、人間関係において、軋轢ということが生じて来るのかと、そのことを思う、人それぞれのこと、自分の思い思いのこと、それを遣っていく、まあ、衝突といえないまでも、摩擦ぐらいは起こるのかもしれないが、それも話し合いで解決していけるのだろうかと、でも、現実的には衝突が起こる、殺し合いまで起こる、どうしてそこまで行くのかと、他者の生き方に干渉するところまで、侵入するところまで行くのかと、そう、それぞれの生き方を守っていく、また、認めていくということがどうして出来ないのかと、そんなことを思う、理想的には、それぞれが、自分の生き方をしている、そして、お互い同士がそのことを認め合っていく、或いは、学んでいくということをしていけばいいと思うが、どうしてそんなことにはならないのだろうかと、その、人の生き方が気にくわない、そんなことになっていってしまう、自閉症児であれば、覿面に嫌われてしまう、でも、それは、或いは、自分なりの生き方をしている、周りのことを考えずに、場の空気をいうことを読まないで、自分の思うように生きているところのこと、そんなところのことがあるからではないかと、自分自身が、何か、虐げられた生き方をしている、自分の意に沿わない生き方をしているという思いがあるから、人に対して、その生き方を妨害していくような、そんなことになっていくのだろうかと、そう、そんなところのことを思う、何か、それぞれが、自分の真実なところのことに気づいていく、自分が、どのような生き方をしたいのか、そんなことに気づく、そして、それに没頭していける、そのようなことにはならないかと、そんな理想的なイメージを持つ、でも、ますます、世の中が二極化していって、その、下位のものは、日々の生活にも事欠くようなことになっていく、ましてや、自分に気づくという余裕もなくしていく、また、上位のものにしても、何か、贅沢ということにおぼれていく、また、その、転落することへの不安感を持ち続けていくのだろうと思う、何か、事態は悪くなっているのかと、その、自分の真実さを生きていくという、そんなところのことにならないかと願う。