「キノの旅」

saikaku2007-05-25

ただ、相手の言葉をその侭に受け留めていくことが出来るのかどうか、無理をしてそうするということでもなくて、自然なこととしてそうすることが出来るのかどうか、その、煩悩を持つということも、それを敢えて滅却するとか、無理をしてそうするとか、或いは、苦行をするとか、まあ、そのようなことではなくて、その、自分だけのこととして、孤独行というのか、そのようなこととして、自分の内にその何か因縁というか、原因というか、そのようなことがあるから、そのことに気づいていくということでいいのではないかと思う、そのようなこととして、他者からの言葉、或いは、その行動ということについて、その侭に受け留めていく、まあ、そのようなことになっていけばいいと思う、先ず、自分自身のこととして、そのようなことが出来るのかどうかという、そんなところを第一歩にしていく、そして、何か、その、自己の内の真実、それに気づいていくことが出来れば、次のこととして、他者との関わりということにおいても、何か、その真実なところのことに気づいていく、生徒の内にあるところの真実さに気づいていくことも可能なことになっていくのではないかと思う、まあ、そのところまでいくには、その、時間内に可能なことになっていくのかどうか、まあ、急がずに、段々と進めていくしかないかと、そう思う、そんなことになっていくと思う、そのような方向性、それが正しく、その、犀角独歩という名前に相応しいことになっていくのだと、そんな気もする、いちばんの問題は、怒りということなのだろうと、そう思う、その感情をどう処理をしていくのか、根本的には、怒りの元は、自分の存在ということが無視されていると感じられるところのことから発すると、そして次には、その、逆に、自分の存在ということが認められすぎる、そんなところ、だから、前のこと、褒めるということを意図的に行うということも、褒め殺しという言葉もあるが、そのことも存在感を見誤ることになっていく、そんなところのことに一喜一憂することもなく、ただ、平静に受け留めていくことが出来ないかと、自閉傾向自閉傾向の侭に留まっていれば、それが一つの理想型になるのではないかという、そんなことも思う、でも、周りからの圧力ということに潰されていくということが多い、その本の中にも、相手の心の内が見えすぎてしまうということも、人間関係を破壊してしまうことになっていく、そう、分かっていて、自分の心の動きが分かっていて、そして、自閉傾向を現していくということが、そのようなことが出来れば、まあ、一つの形にはなっていく、でも、どうなのかと、そう、自然なことの方が、そう、そのことがいちばんいいとは思うが、どうなのだろうかと。