「星と祭」(井上靖)

saikaku2007-07-10

もう一度、此処へ書くことを再開していこうかと思う、そのような気になってきている、特別に新しいことが始まっているわけでもない、前5月25日のこと、書き終わってみて何か一区切りが付いたという感じがした、ああもういいなという感じがしていた、今もあれはあれで終わったという気がしている、それからのこと、あいも変わりなく或いはそれ以上に本を読むことに集中していた、ただ一つ変わったことといえば、新刊本を追うことと併せて、以前読んだ本、読了したときに奥付きに書き込んでいた日付を見ると、十数年前もっと二十数年前に読んだ本をもう一度読み返し始めている、そして、この本もその一つ、何か気になっていた本の一つ、でも曰く付きの本で、昔整理していたときにはもう読むこともないだろうと古本屋に出してしまっていた、古本屋でも廃棄されてしまったと思う、後悔しても後の祭り、大きな本屋で探してもなかった、その井上靖の本自体が置いていない、そうか井上靖という作家はもう忘れ去られているのだとヘンに納得もしたが寂しくもあった、図書館に置いてある全集の中に含まれていることを知り、でもそれが800ページもある分厚い本で、それでなんとかもう一度読んでみた、新聞に掲載されていた長編小説だったと思うが、そのテーマとするところは死の受容ということ、如何に身近な者の死を受け容れていくのかということ、死者との対話を通してそれを受け容れていこうとする、この小説の前には同じことをテーマとしている「花壇」も読んでいた、対話を通して死者が自分自身の内に蘇生してくるという、死者が自身の内において生き続けていくような、でもいつしかそのような対話も途切れモガリの時期も終わっていくような、そのような経過を辿っていく、これからの時代或いは今という時代のことを考えればこのテーマの重要性も高まっていくと思う、いや、いつの時代にあっても、死ということをどう受け留めていくのかということ、それは永遠のテーマかもしれない、またそれが生き方の問題とも並行している、そして、その過程においては先ず自己との対話ということが先行している必要があると感じる、自分にとってそのことを実現しようとしているのが、今もそう、このように書き続けていくことになっている、読むことと書くこと、受容することと表現することによって車の両輪のように精神生活が進んでいく、そして、以前と少し変わって来ているのは、書くということにおいて、いろいろな書き方や表現の仕方を実行していこうと考えているところ、そのようなことにも気づき始めている、大まかに自分の感じていることをその侭に書いていく、タイプしていく、このような表現の仕方が先ずベースになっている、これが第一段階、以前は、こんな感じで此処へも書いていた、そのことに疲れていたということも中断した理由にはあったのかと思う、このことを少し変えていきたいと、自由気侭に書いていくことは基本的に大事なこと、でももう少しきちんと纏まった書き方をしていくこと、そのことを此処で実践していこ考えている、これが第二段階、そのような目的を持って、朝一番に遣るべきこととして、これを再開していく、更にもっときちんと書くことも考えている、即ち習字ということ、それを始めたから再開する気になったのかとも思う、一字一字、一画一画、その字形にも工夫を払っていきながら書いていくことに自己を表現していく手掛かりを掴んでいく、これが第三段階、このようにして表現の仕方の多様化を図っていく、受け容れていくことにおいても、本を読むことや人の話を聞くということなど実際には多様化している、それに併せて、表現の方法としても多様化を図っていく、そのようなことへ広げていきたいと思う、いろいろなレベルでの精神生活を考えていく、そのようなことでいいのではないかと思う。