「とぶ船」(ヒルダ・ルイス)

saikaku2007-07-13

今の一つの仕事は、11月にある研究大会の為にその発表原稿を書かなければならない、発表時間は短いもののどう発表するのかを考えていかなければならない、まだ充分に時間はある、差し迫っていればまた別の話になっていくが、充分な時間が遣えてまだ書き始めなくてもいいというときには、意識的意図的にに始めることをしないで、その全体的な問題を無意識に放り込んでおくことをする、意識的には考えないただしなければならないという感じだけを持っている、そんな状態にあると、どういうわけか自然にアイデアが浮かんで来る、そして勝手に構想が練り上がってくる、そんなことになっていく、便利なものだと思う、むしろそのようなことを待っている、よくいえばウイスキーがだんだんと熟成していくような感じなのだろうかと、そしてだんだんと異なるアイデアも付加されてきて、一応の纏まりとその骨格が出来ていく、これで行けるのではないかという全体的な展開が出来上がっていく、でも細部はまだまだ、さらに共同発表者にその骨格を話すとき、そうしながらさらに肉付けが為されていく、話しながら浮かんで来ているアイデアを織り込ませている、そんなこともしている、そんなこんなで進めていけばいいのではないかと考えている、でもまあ捨てなければならないアイデアもある、その発表のときに、パワーポイントはもう在り来たりで誰しもそれを遣っているから、ちょっと替えて、観客の意表を突くというか、発表内容を紙芝居方式で提示していくとか、落語で舞台の袖にある演目が書かれてあるような、そんな紙をパラ〜ンと垂らしていくとか、そんな提案を共同発表者にしてみてたら、まあ、ダメ!と却下されてしまった、(今でもそれを棄て難く面白いんじゃないかと思っている)、単に誰もが遣るような発表では面白くないから、何か発表していて楽しくなること、内容的には勿論のこと、提案の仕方においても何か企みということを織り込ませたいと考えている、まだまだ時間はある、そんなことも自然に湧いて来るのを待っている、無意識においてどんな芽が出掛かっているのか、早めに摘んでしまうことをしないで少し成長してくるまで待っている、自然と纏まって形を為してくるのを待っている、そのようなことが大事なことなのではないかと思う、いろいろな本を読むとしても、相手の話を聞いていくことにしても、そのときには唯その内容を理解していくことに専念していく、数学の本を読むことにおいても、自分が納得するところまでじっくりと考えていく、いろんな場合のことを想定して考えていく、先ず外の在ることを理解していく、一方内で起こっていること生まれて来ていることを掬い上げていく、自分の意識の世界においての作業は、その二方向からのメッセージを受け留めていくことだと考えている。