「トメック」「ハンナ」(ムルルヴァ)

saikaku2007-07-20

もう一度時間配分のことを考え直していく、そしてそれをシンプルなものへ替えていく、4つのことに並行して進めていくことよりも、その4という数字の安定感に拘り過ぎていることを改めて、実際のこととして巧くいっていない、そして気持ちも分散して仕舞っている今の在り方ではなく、何か一つのことに集中していくことの方がいいと、もう一度元へ戻していく、一つのことへ集中していくことへ切り替えていく、…人の話を聞いていくこと、或いは自然に話し掛けてくるような雰囲気を醸し出していること、それが大事なことのように思う、事が起こってからのこと、いろんなことを想定してしまう、最悪のことも考えてしまう、期待するところのことも勿論ある、今までのことやこれからのこと、心の苦しみを伴いながら多くのことが話せなかった、そして多くの言葉が埋もれてしまっていた、その真実なところのことを聞いていく或いは受け容れていく、…久し振りに「ベン・ハー」を観る、それは傍線としてのイエス・キリストの物語、イエスという人間について、何か立派な教えを説いたとかいうことよりも基本的に相手の言うところのことを自然と聞ける、相手の訴えるところのことを自然と受け容れていくことが出来る、そんな姿勢を持っていたのではないかと思う、仏陀にしても、その誰だったけ、4大聖人ということにしても、何か真理を解いたとかいうことよりもただ受け容れていくことに徹していたのではないかと思う、その言動についての多くの本や聖典や経典も残されているが、それは結局弟子が書いたものであって、実際の本人の言動はどうだったのだろう、むしろ弟子たちがその存在理由の為として、自分らの為として如何にも深遠なところへ辿り着いたかのような、そのような記録を残していったのではないかと思う、真理ということ、その真実性ということ、本当に言いたいことは言葉では伝わらないと思う、いくら多くの言葉を費やしても真実を表現することが出来ない、ただ堪えていることやその感情的なところのことは言葉を越えて伝わってくる、自分の感情に響いてくる、言葉そのものを聞くということよりもその感情的なところのことを聴いていく、それを自然なこととして受け容れていく、それが大事なことなのではないかと思う。