『発達障害の子供たち』

saikaku2008-01-12

余りにも繋がりを重要視していくと、「お手々繋いで一緒にゴールしましょう」(これには虫酸が走る)ということになり兼ねない。柵を断ち切れない。同族意識或いは宗教的派閥の中に安住するという生活になってしまう。それとは逆に、西行のように不図放浪の旅に出てしまうような人もいる。おそらく人間の生活の在り方は、群れの中に安住するかそれとも独りで居ることを好むのか、に分かれるのだろう。野生動物の世界においてもそれはあるかもしれない。このことは成長過程において選択するというものではなくて、(ただ感じとして)人間の精神活動の基本的なところで分かれているように思う。タイプとして分かれていると思う。別の言い方をすれば、(これもただ印象として)外部情報の同時並行処理の有無に関わっていると思う。群れの中に安住できる人間は、多分その複線的な情報処理が可能なのだと思う。周囲に対して目配りが利くし気配りをするが出来る。このことを面倒と感じる人間もいる。単線的な処理しか出来なければ、不必要な情報は極力排除して、一筋の道をとぼとぼと歩いていくような生き方になる。少し前から不思議に思っていたことがあった。それは、びっしりと活字が埋まっている本の方が読み易いのに反して、漫画が読みづらいこと。また、雑誌でよくあちらこちらに文章が散在しているようなページに出会すと、それだけで嫌ぁな気分になってしまうこと。「纏めて書けよ」と思ってしまう。また聞いてて話題が二転三転するようなとき、その話の主に対して「もういいか」と思ってしまうこと。多分私自身単線的な生き方が相応しいということなのだろう。そう、そのようなことになってきていると感じる。