「もうワープロは遣わない」

saikaku2008-01-23

この頃ワープロで作られた文章ほど読みにくいものはないのではないかと思っている。まさに自分自身の文章がそうなんだ。どうしても文が甘くなり冗長になってしまっている。書かなくてもいいことまでクドクドと書き込んで、構成もガタガタになってしまっている。「指先で書く」と意気込んでいたが、ただ読みづらい文章を作っていたのだけのことだと恥ずかしい。現代作家の多くの小説もそう感じる。ワープロで作っていると思う。書き過ぎている。例えば中勘助銀の匙』の無駄のない文章と比べてみれば、一“読”瞭然とする。さて、もう一度手書きに戻ることを決意する。そう!決意なのだ。思えば、以前研究集録に載せた文章も、初めはワープロで作るが、そのプリントアウトしたものを、繰り返し読みながら加筆・削除・置換などをしていた。そして日を置きながら何度もその作業を行っていた。基本的には手書きだったのだと思う。手書きの方が脳の働きとリンクし易いのではないかと想像する。ワープロは最終稿を清書するために遣う。これでいいのではないかと思う。そして、この文からそうしていく。