saikaku2008-01-29

対話をしているとき、実は「4者」関係が成り立っている。自分の内において、意識の世界に居る「自我」と意識下に居る「自己」、その「2者」に分けて考える。相手も同様に、それぞれに対応する「自我」と「自己」の2者が居る。その、合計「4者」関係が存在している。そして、その「4者」を繋ぐ(対角線も含めて)6本の線或いは関係性が成り立っている。それぞれの「自我」どうしは表面的現実的な関係性。何が起こっているのか、いちばん分かり易い。相手が発する言葉を聞いてその内容を理解し意図を判断していく。そして、それに対して応答していく。そのような遣り取りが行われる。その単一の関係なら意図を明確に伝えさえすれば、何も揉め事も起こらないだろうと思う。次に、自分の内部においての「自我」と「自己」との上下方向の繋がりがある。その関係性とは、自分は実際に何を感じていたのだろうかと、その本心に気づいていくことにある。或いは、「自己」からのメッセージとしての夢に顕れたところを判断していく。そのことによって、「自己」としての深層心理を理解していく。今、私が自動書記ということをしているのも、実は本心を尋ねているという意味を持っている。そう考えている。そして、2対の対角線の繋がり、私の「自我」と相手の「自己」逆に相手の「自我」と私の「自己」がある。それは、例えば相手の顔の表情或いはちょっとした仕種からも何かを感じてとっていることを意味している。例えば相手が腕組みをしている。そのとき、言葉にはしないまでも、内心では、「ああ、私の話を聞きたくないんだなぁ」とか「何か言いたいことがあるけれど必死に抑えているんだなぁ」とか感じている。このところで問題が生じる。言葉として聞いている内容とその対角線の繋がりによって感じるところのことが矛盾しているとき、混乱が起こる。ダブルバインドが生じる。また相手の内部においても同じことが起こっている。また相手の「自己」から伝わって来ているところのことを、「自我」が明確に理解しているとは限らない。そのような問題も生じる。むしろ、この対角線の繋がりが人間関係に大きな作用を及ぼしていると思っている。もう一つ、表面には出ない意識下どうしの繋がりもある。これはどうにも分かり難い。巧く説明も出来ない。この6つの関係性が流動性をもって充分に機能していれば、おそらく人間関係に問題は起こって来ないだろうと思う。でもこれは不可能なこと。そして、もう一つ言いたいのは、たとえ言葉の遣り取りがなくても、相手の「自己」から伝わって来るもの、それだけを受け留めていくことが出来れば、そのときにも相手との対話は成立する。例えば犬や猫とも話をしていくことが出来る。相手の望んでいることが充分に理解出来るようになる。更に進んで、樹や石とも「話」をすることも可能になる。樹の「自己」或いは「樹性」というものを感じとっていくことができればいい。そのようなこともある。また霊媒師とかも特別な能力ではないと思う。その元を訪れただけでも大きな意思表示であるし、そして相手の全存在から発する微妙な表情を読み取っていくことが出来れば、その心の内に在るところのことを、恰も隠されている心理を読みとったように表現していくのも可能になると思う。

対話をしているとき、実は「4者」関係が成り立っている。自分の内において、意識の世界に居る「自我」と意識下に居る「自己」、その「2者」に分けて考える。相手も同様に、それぞれに対応する「自我」と「自己」の2者が居る。その、合計「4者」関係が存在している。そして、その「4者」を繋ぐ(対角線も含めて)6本の線或いは関係性が成り立っている。それぞれの「自我」どうしは表面的現実的な関係性。何が起こっているのか、いちばん分かり易い。相手が発する言葉を聞いてその内容を理解し意図を判断していく。そして、それに対して応答していく。そのような遣り取りが行われる。その単一の関係なら意図を明確に伝えさえすれば、何も揉め事も起こらないだろうと思う。次に、自分の内部においての「自我」と「自己」との上下方向の繋がりがある。その関係性とは、自分は実際に何を感じていたのだろうかと、その本心に気づいていくことにある。或いは、「自己」からのメッセージとしての夢に顕れたところを判断していく。そのことによって、「自己」としての深層心理を理解していく。今、私が自動書記ということをしているのも、実は本心を尋ねているという意味を持っている。そう考えている。そして、2対の対角線の繋がり、私の「自我」と相手の「自己」逆に相手の「自我」と私の「自己」がある。それは、例えば相手の顔の表情或いはちょっとした仕種からも何かを感じてとっていることを意味している。例えば相手が腕組みをしている。そのとき、言葉にはしないまでも、内心では、「ああ、私の話を聞きたくないんだなぁ」とか「何か言いたいことがあるけれど必死に抑えているんだなぁ」とか感じている。このところで問題が生じる。言葉として聞いている内容とその対角線の繋がりによって感じるところのことが矛盾しているとき、混乱が起こる。ダブルバインドが生じる。また相手の内部においても同じことが起こっている。また相手の「自己」から伝わって来ているところのことを、「自我」が明確に理解しているとは限らない。そのような問題も生じる。むしろ、この対角線の繋がりが人間関係に大きな作用を及ぼしていると思っている。もう一つ、表面には出ない意識下どうしの繋がりもある。これはどうにも分かり難い。巧く説明も出来ない。この6つの関係性が流動性をもって充分に機能していれば、おそらく人間関係に問題は起こって来ないだろうと思う。でもこれは不可能なこと。そして、もう一つ言いたいのは、たとえ言葉の遣り取りがなくても、相手の「自己」から伝わって来るもの、それだけを受け留めていくことが出来れば、そのときにも相手との対話は成立する。例えば犬や猫とも話をしていくことが出来る。相手の望んでいることが充分に理解出来るようになる。更に進んで、樹や石とも「話」をすることも可能になる。樹の「自己」或いは「樹性」というものを感じとっていくことができればいい。そのようなこともある。また霊媒師とかも特別な能力ではないと思う。その元を訪れただけでも大きな意思表示であるし、そして相手の全存在から発する微妙な表情を読み取っていくことが出来れば、その心の内に在るところのことを、恰も隠されている心理を読みとったように表現していくのも可能になると思う。