『夕顔の言葉』(壺井栄)

saikaku2008-09-11

「たった三粒の種、それが百倍もそれ以上にもなって、次の生命に備えてゐる姿、それは、花が散ったと淋しがる人の心に、無言の言葉をなげかけてゐるようでした」
 
 数年前、盗人萩はたった一株しかなかった。それが今では庭のあちらこちらで厭になるほど葉を茂らせている。今、それらを目の敵のように引き抜いている。でも、そのようになった原因は、私自身にある。初めそれを萩だと思いこんでいた。暫くしてから、隣りのおじさんに本当の名前を教えてもらった。萩の葉は楕円形をしているが、盗人萩の葉は先が少し尖った形をしている。色も薄く黄緑に近い。今は充分に見分けはつく。もう一つの大きな違いは、その種子がくっ付き蟲なのだ。花が咲く、種が出来る。作業中、その種が袖口といわずズボンの裾といわず、びっしりと一列に並んで雨模様のようにくっ付く。本来は、盗人にとって傍迷惑なモノだったのだろう。一昨年昨年と、そのくっ付いた種を爪で剥がしていきながら、庭中に撒き散らしたのが私だったのだ。それが、今年、芽吹いている。至る所で生育している。そして、今年、目の敵のようにちょっとでもそれを見つけると、花が咲く前に引き抜いているわけなのだ。遅くとも、種が出来るまでに全滅させてしまおうとしている。でも、不図疑問に思うことがある。去年ばら撒いた種子は、今年全て!芽を出したのだろうかと。或は、まだ地中に温存されているのではないかと。「私は今年芽を出すの止めとくわ」とか「僕は再来年にしよう」とか、そんなことを考えている種もあるのではないかと。そうすると、盗人萩との戦いは、まだまだ続くことになっていく。